病院事業管理者挨拶

どんな病院を目指しているか?
病院事業管理者 北野喜良
「どんな病院をつくるか? どんな病院にしたいか?」 いつも考えています。地域に根付いた、心温かい、やさしい病院です。笑顔や涙や悲しみも大切にしたいと思っています。できれば、この地で、病気そして死に対して助け合う、支え合う、人と人の絆という文化を築ければと願っています。
さて、ここでは、松本市立病院(以下「市立病院」)の沿革を振り返り、どんな病院になろうとしているか述べさせていただきたいと思います。
市立病院の前身は、73年前の昭和23年10月旧波田村の国保直営診療所の開設に遡ります(内科標榜、病床4床)。昭和26年に外科診療も加わって村立波田病院に格上され (20床)、昭和30年に産婦人科、昭和35年に小児科を標榜し、昭和48年には「町立波田病院」と改称されました(81床)。その後、昭和60年4月には「波田総合病院」と改称され、現在地に移転改築されました (150床)。41年前のことです。さらに、平成11年の増改築工事により病院規模は210床となりました。平成22年3月に波田町は松本市と合併し、「松本市立波田総合病院」となりましたが、その2年後の平成24年に現在の病院名に改称されました。
また市立病院は、平成9年に病院機能評価を受審し、長野県内で初めて認定されたほか、平成13年には第二種感染症指定医療機関(感染症病床6床)に指定され、平成17年には総合診療科を開設するなど、時代に先んじて医療体制を整え、先駆的に取り組んできました。
現在、移転改築から40年以上経過し、施設の老朽化と狭隘化への対応、動線や構造など施設の機能としても改修が必要な状況となっています。病院建設事業については、平成26年から具体的な検討が始まり、平成30年3月には「松本市立病院建設基本計画」が策定されました。当時、病院経営が赤字決算の連続であったため、平成30年8月に建設事業は一時凍結されましたが、経営改善により令和元年度の経常収支が黒字決算となったことから、令和2年松本市議会6月定例会で現市長が再開を表明し、病院建設事業が再開されました。
病院局による松本市立病院建設基本構想と松本市立病院建設専門者会議からの提言をもとに、松本市立病院建設庁内調整会議で検討を重ね、令和3年6月に「市立病院建設基本計画見直し骨子(案)」がまとまりました。この骨子(案)は、住民説明会とパブリックコメントを経て、令和3年9月の市立病院建設特別委員会で了承され、建設予定地を波田中央運動広場に決定しました。 松本市は、その骨子を基軸として、令和4年3月に新たな「松本市立病院建設基本計画」を策定しました。
令和4年8月から開始された基本設計業務は、産科診療機能の見直し検討のため一時休止されましたが、令和5年11月には完了し、令和6年9月からは実施設計業務が開始されました。しかし、令和7年4月の産科医療事故を発端とした分娩機能の廃止により、実施設計業務を休止して建設基本計画を修正する必要が生じました。
ところで、国は、2040年とその先を見据えて新たな地域医療構想のガイドライン策定を進めています。一方、長野県においても、地域の実情に応じた医療提供体制のグランドデザインを策定し、地域型病院と広域型病院の役割分担と連携を推進することを掲げています。
こうした中で、松本市は、市立病院の将来的な役割と機能を適切に位置付けるため、「松本市立病院建設基本計画見直し検討委員会」を設置して、新たな地域医療構想と基本計画の整合性や地域型病院としての役割・機能について諮問し、令和8年3月26日に答申を受けました。
市立病院は、いま大きく変わろうとしています。地域の医療ニーズに応えられる地域密着型の機能をより高め、安全・安心で質の高い医療を心温かく提供していきたいと思います。また、今回の答申を踏まえて建設基本計画を見直し、新病院建設事業を着実に進めていきたいと思います。
市立病院は、皆さんから愛され、慕われ、身近で頼りにされる病院でありたいと思っています。
令和8年4月更新